乃木坂浪漫 ep99 12.09.19 衛藤美彩 × 萩原朔太郎『青猫』


乃木坂浪漫 ep99 12.09.19 衛藤美彩
开场白:市來玲奈
朗读作品:萩原朔太郎『青猫』

作者于大正12年发布的第二本诗集。

私の情緒は、激情(パツシヨン)といふ範疇(はんちゅう)に屬しない。むしろそれはしづかな靈魂ののすたるぢやであり、かの春の夜に聽く横笛のひびきである。
 それはあの艶めかしい一つの情緒――春の夜に聽く横笛の音――である。それは感覺でない、激情でない、興奮でない、ただ靜かに靈魂の影をながれる雲の郷愁である。遠い遠い實在への涙ぐましいあこがれである。
どこに私たちの悲しい寢台があるか
ふっくりとした寢台の 白いふとんの中にうづくまる手足があるか
私たち男はいつも悲しい心でゐる
私たちは寢台をもたない
けれどもすべての娘たちは寢台をもつ
すべての娘たちは 猿に似たちひさな手足をもつ
さうして白い大きな寢台の中で小鳥のやうにうづくまる
寢台の中でたのしげなすすりなきをする
ああ なんといふしあはせの奴らだ
この娘たちのやうに
私たちもあたたかい寢台をもとめて
さめざめとすすりなきがしてみたい。
みよ すべての美しい寢台の中で 娘たちの胸は互にやさしく抱きあふ
心と心と
手と手と
足と足と
からだとからだとを紐にてむすびつけよ
からだとからだとを撫でることによりて慰めあへよ
人と人との心がひとつに解けあふ寢台
かぎりなく美しい愛の寢台
ああ どこに求める 私たちの悲しい寢台があるか
どこに求める
私たちのひからびた醜い手足
このみじめな疲れた魂の寢台はどこにあるか。

乃木坂浪漫 ep98 12.09.18 齋藤飛鳥 × 中島敦『山月記』

乃木坂浪漫 ep98 12.09.18 齋藤飛鳥
开场白:市來玲奈
朗读作品:中島敦『山月記』

1942年,作者于『文学界』上发表的出道处女作。

人間であった時、(おれ)は努めて人との(まじわり)を避けた。人々は己を倨傲(きょごう)だ、尊大だといった。実は、それが(ほとん)羞恥心(しゅうちしん)に近いものであることを、人々は知らなかった。勿論(もちろん)、曾ての郷党(きょうとう)の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは()わない。しかし、それは臆病(おくびょう)な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に()することも(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。
今思えば、全く、己は、己の()っていた(わず)かばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をも()さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないとの卑怯(ひきょう)危惧(きぐ)と、刻苦を(いと)う怠惰とが己の(すべ)てだったのだ。虎と成り果てた今、己は(ようや)くそれに気が付いた。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は(たま)らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の(いわ)に上り、空谷(くうこく)に向って()える。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき(やす)い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の()れたのは、夜露のためばかりではない。

乃木坂浪漫 ep97 12.09.17 安藤美雲 × 太宰治『ア、秋』

乃木坂浪漫 ep97 12.09.17 安藤美雲
开场白:市來玲奈
朗读作品:太宰治『ア、秋』

太宰治居住在甲府市时期发表的短篇作品。

本職の詩人ともなれば、いつどんな注文があるか、わからないから、常に詩材の準備をして置くのである。
「秋について」という注文が来れば、よし来た、と「ア」の部の引き出しを開いて、愛、青、赤、アキ、いろいろのノオトがあって、そのうちの、あきの部のノオトを選び出し、落ちついてそのノオトを調べるのである。
秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗(ききょう)の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。
窓外、庭ノ黒土ヲバサバサ()イズリマワッテイル醜キ秋ノ蝶ヲ見ル。並ハズレテ、タクマシキガ故ニ、死ナズ在リヌル。決シテ、ハカナキ(てい)ニハ非ズ。と書かれてある。
これを書きこんだときは、私は大へん苦しかった。いつ書きこんだか、私は決して忘れない。けれども、今は言わない。
また、こんなのも、ある。
芸術家ハ、イツモ、弱者ノ友デアッタ(はず)ナノニ。
ちっとも秋に関係ない、そんな言葉まで、書かれてあるが、或いはこれも、「季節の思想」といったようなわけのものかも知れない。

 

乃木坂浪漫 ep96 12.09.13 伊藤寧々 × 織田作之助『馬地獄』

乃木坂浪漫 ep96 12.09.13 伊藤寧々
开场白:市來玲奈
朗读作品:織田作之助『馬地獄』

作者于1942年在『文学界』上发表的处女作品。

東より順に大江橋(おおえばし)渡辺橋(わたなべばし)田簑橋(たみのばし)、そして船玉江橋まで来ると、橋の感じがにわかに見すぼらしい。
ともかく、陰気だ。ひとつには、この橋を年中日に何度となく(わた)らねばならぬことが、さように感じさせるのだろう。
近くに倉庫の多いせいか、実によく荷馬車が通る。たいていは馬の(あし)が折れるかと思うくらい、重い荷を積んでいるのだが、傾斜があるゆえ、馬にはこの橋が鬼門(きもん)なのだ。
ある日、そんな風にやっとの努力で渡って行った轍の音をききながら、ほっとして欄干(らんかん)をはなれようとすると、一人(ひとり)の男が寄って来た。(あわ)れな声で、針中野(はりなかの)まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛(きしゅうなまり)できいた。渡辺橋から市電で阿倍野(あべの)まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しかけると、いや、歩いて行くつもりだと言う。西宮までの電車賃はありましたが、あと一文もなく、朝から何も食べず、やっとここまで歩いてやって来ました、あと何里ぐらいありますか。半分泣き声だった。
思わず、君、失礼だけれどこれを電車賃にしたまえと、よれよれの五十銭(ぜに)を男の手に(にぎ)らせた。
それから三日()った夕方、れいのように欄干に(もた)れて、汚い川水をながめていると、うしろから声をかけられた。もし、もし、ちょっとお(うかが)いしますがのし、針中野ちうたらここから……()り向いて、あっ、君はこの間の――男は足音高く()げて行った。その方向から荷馬車が来た。馬がいなないた。彼はもうその男のことを忘れ、びっくりしたような苦痛の表情を馬の顔に見ていた。